29 10月

「赦されて生きる存在」

以下の内容は私の告白物語である。
ここでいうところの物語は作者。つまり、私の想像から虚構(=実際になかったことをあったかのようにみせかけること)として作られた告白ではなく、ある体験からくる事柄について語る事実である。
みなさんには、すでに私が小学生の時に両親は天空橋を渡り召されたと伝えた。今から語ることは、お父さんの生前の時にお母さんや兄弟姉妹におこなった行為に対して、赦すことができなかったことが、私にとって何を意味していたかである。さて、お父さんを赦せなかったのは、50代後半まで続いた。しかし、その後に私の身に起こった出来事を通した体験から次のように言える。
今は亡きお父さんを赦す赦さないの二元論的次元の課題ではなかった。私は、過去の出来事を生きる糧にできず、過去に束縛されていた心の貧しい存在である。
言い換えるならば、その私が、私自身を赦していなかったことがとても大切なテーマである。人は自分と隣人に赦されて生きる存在であることを忘れないようにしたい。
人間にとって、一番悲惨なことは、隣人を赦せないことだけではなく、自分を赦せないことではなかろうか。